高校時代、世界史の授業で異文化について教師は
「隣の家のやつは、納豆に砂糖をかけて
食べるけど生まれた時から、それを食べているから、
それが変だなんて、そいつは思ってない。」と説明した。
乱暴な意見だか妙に納得したのを覚えている。
ニュージーランドにいる頃、生活習慣の違いに驚く事は多かった。
課外授業で農園の手伝いをした際、僕はニュージーランド人と2人で
網を貼っていた。
あと数メートルで終わるといったところで急に彼は網を地面に置いた。
「どうした?」と聞くと彼は
「ティータイム(休憩)!」と答えた。
時計を確認したら確かに15時だった。
でも、その作業はあと2〜3分もあれば
終わる内容だった。
こういった事は多く、はじめは、イライラしたが
徐々に文化や生活習慣の違いを受け入れるようになり
「そういうものだ」と思うようになった。
「郷に入っては郷に従え」ということなのだと思う。
結局その時も、一緒に休憩をした。
こういった体験が
「世の中には色々な人がいて、色々な考えがある」
という考えの基盤を作ったような気がする。